市民のための人権大学院 じんけんSCHOLA(すこら)

2017年8月~12月<第8期> JR大阪駅前で開講!

DVD「シリーズ映像で見る人権の歴史」 解説例と学生の感想

by j-schola on

『映像で見る人権の歴史』第1巻「東山文化を支えた差別された人々」
解説例と学生の感想 (上杉 聰)

DVDで描いた内容のほとんどは、上杉著『これでわかった!部落の歴史』(以下『これでわかった!』と略す、解放出版社)第5章に書きました。

さらにDVDの中に、銀閣寺に特化させた解説・史料を加えています。
下の(7)は、今回新しく解説するものです。

以上の概略を要約すると次のようになります。

1)当時「河原者」「屠者」「穢多」は、同じ人を指す別の名前だった(『これでわかった!』p.88、史料④)。「河原者」は住む場所から、「屠者」は仕事から、「穢多」は人の(穢れたとされる)状態からき た名前。江戸時代になると、これらは「穢多」の名称へとほぼ統一される。

2)その人たちへの差別は、「こわい」「残酷」「私たちと違う…血筋」などがあった。『天狗草紙』は「こわい」「残酷」(『これでわかった!』p.83、史料①)、『塵袋』は「私たちと違う」(「人交わりしない」)など(『これでわかった!』p.61、史料①)。

3)そうした差別の背景には、彼等が無税地の河原に住み、動物を捕って食べた(穢れ)
ことがある(『同』p.75、史料⑤)。一部の教科書は、「自然に手を加えたから穢れた」と説明しているが、これは完璧な間違い(DVD添付資料・上杉著「中世河原者の庭づくりについて」の冒頭に、明確に書きました)。

4)彼らは、差別されていたため、最も困難な肉体労働をするしかなかった。その中に庭仕事があり、彼等は不断の努力をして技術を高めた(たとえば独学する又四郎の姿。『こ
れでわかった!』87頁、史料③)。

5)作庭の中心人物は、貴族(平安期)~僧侶(石立僧。鎌倉・室町前半期)~山水(せんずい)山水河原者(室町後半期)へと移ることで庭園技術が継承され、発展した(DVD添付資料「中世河原者の庭づくりについて」上p.20上段)。

6)極めて高度な美意識をもつ義政は、銀閣を最高のものとするため、世間の差別などは無視して河原者を使用した。これに反発する人たちは、奈良で河原者の追放運動を引き起こした(DVD添付史料<現代語訳付>㉓)。

7)槇(まき)(中国名「羅漢松」)の樹は、実(み)が「解脱した僧侶の姿」をしているため、仏教か らみて最高の樹であった。それを観音殿の正面(東)に昇る月と池に映る月で挟む構成とするため、義政は河原者・彦三郎を派遣し、樹の枝振りを選定させた、と考えられる (槇の実と、銀閣から見た月と槇と池の映像はhttp://j-schola.net/からダウンロードできる)。

 

◇学生の感想

大学生約300人に『映像で見る人権の歴史』第1巻をみせたところ、次のような感想が寄せられた。

[部落のプラス面を知って]

a)ちょっと難しいが、あの銀閣寺の庭を河原者達が造ったことを初めて知り感動した。差別された人が差別に負けないで能動的に芸術を高めたのは立派。高度な仕事をしたことは、差別問題を反省する良い導入に。もっとみんなに知らせて欲しい(ごく一部は知っていた)、そうすれば部落の人々を尊敬し、差別も薄らぐ、という意見が圧倒的。

[差別しない人を知って]
b)義政・周麟のように差別しない人がいたことに感動、差別克服の意義は深く大きい。差別を克服する勇気が生まれた。自分にも差別心が少しある。そんな自分が嫌になる。
素晴らしい文化は差別を克服することで生まれたということが、心に残った。

[「こわい」などの偏見を知って]
c)噂や偏見で「恐ろしい」(天狗草紙)と感じ簡単に差別が生まれる怖さがよく分かった。ピンポイントの知識で判断することの怖さ。鳥を捕って生活できるという誤解に気づかなかった。広い視野が必要と分かった。
私の心の中に愚かな差別を作らないようにしたい → 同時に、なくせるか、不安

[部落史全体に関連して]
d)教科書で江戸時代に突然「穢多・非人」が現れたもやもやが講義で消えて嬉しい。
e)差別された人たちが素晴らしい文化へ貢献してきたことが、今も隠されていることを変えたい。