市民のための人権大学院 じんけんSCHOLA(すこら)

2017年8月~12月<第8期> JR大阪駅前で開講!

ご心配いただいている皆様へ その1

by j-schola on

  

<ご心配いただいている皆様へ>

2016年12月22日

じんけんSCHOLAが今秋行った大阪フィールドワークに関し、セックスワーカーの人権と生き方を守ろうとするある団体の方々から批判が寄せられました。日ごろじんけんSCHOLAを支援していただいている方、関心を寄せられている方にはご心配をおかけしていると思います。
つきましては、その前提となる「フィールドワークの考え方」に関し、じんけんSCHOLAの共同代表である上杉が明らかにしたいと思います。
なお、上杉はフィールドワークの5日前から体調を崩し、フィールドワーク当日も十分な対応ができず、またこの文書の作成・公表についても遅くなりましたこと、お詫びいたします。
また、この文書につづき、事実確認とともに、じんけんSCHOLAとしての反省点などを公表したいと思います。

飛田新地をなぜフィールドワークするのか

上杉 聰
(じんけんSCHOLA共同代表、大阪フィールドワーク講師)

 

◆じんけんSCHOLAのフィールドワークとは?

 市民のための人権大学院・じんけんSCHOLAは、2010年から毎年、ほぼ8月から12月にかけて約4~5ヶ月のあいだ、被差別部落や障がい者、ジェンダー・セクシュアリティ、民族問題、都市階層、原発被害などの問題について、広く歴史・社会・教育学の観点から講座を開いてきました。

 対象は、基本的にすべての社会人です(一部、学生などを含む)。つまり、人権問題に関わる教師あるいは行政・企業の啓発担当者をはじめ、人権問題に関心と課題を抱いてきたすべての方々を対象とし、大阪駅前で毎年160~220人ばかりが参加する小さな教室を開いてきました。今年で7年目となりました。

 あくまで講義が中心ですが、毎年の開講にあたってテーマ別のシンポジウムも開いてきました。フィールドワークも、2013年から韓国と京都で、そのあと大阪・神戸などでも開催してきました。飛田新地は、 2014年からその大阪フィールドワークの一部となってきたものです。今年は「上杉聰・石元清英と行く~大阪/光と影のフィールドワーク」と題し、旧非人村(釜ヶ崎ほか)、飛田遊廓跡、浪速部落を歩く企画で、11月23日に開催いたしました。47人(スタッフ・講師8人を含む)の参加でした。

◆フィールドワークへの私の出発

 2014年から開いてきたこの大阪フィールドワークは、関西大学(以下「関大」)で、私が1年間かけて講義する「部落史研究」の科目の締めくくりとして、毎年秋から冬へかけて午後の半日をつかい、25年間続けて来たものを下敷きとしています。

 私の科目は歴史が中心ですので、現在の部落問題に触れさせることで差別の現実を知り、学生に解放への思いをより強めたいと考えたからでした。幸い私は被差別部落の中に住んでいましたので、そこへ学生を案内することにしました。さらに、私の研究室との行き来に自転車を使っていて、通勤で通るその往復線上に釜ケ崎と飛田がありました。これらも被差別部落と関係するものとして、反「差別」(排除と所有)の視点から訪問先に加えました。1990年頃から釜ケ崎~飛田新地~浪速部落の順で約4時間かけて案内して回り始めました。

 学生たちにとって部落の居住地へ足を踏みいれることは、ほとんどの者が初めてでした。1990年代初頭のことでしたので、部落は住環境の面で大きな成果を上げていました。それと比べ、釜ケ崎や飛田の様子は、私にとっては日常の通行路の一部でしたが、学生たちにとっては、より深刻に感じられたようです。また部落問題の歴史に加え、私が釜ケ崎と飛田の研究に少しずつ関わり始めたのも、このフィールドワークを通じてでした。

 釜ケ崎については、当時から研究も多数あり、越冬ボランティアをしている友人もいましたので、わりと早く歴史像の把握や地元活動家と接触ができました。しかし、飛田については、ほとんど何の研究もありませんでした。現在、楼主の生活や一般的な内容の書籍は少し出ていますが、そこで働く女性たちの労働のあり方ついて、「女性の立場から書いた書籍」は、いまだないだろうと思います。

 それに近いものとして私の知るかぎり、唯一、男性からですが、松沢呉一さんによるインタビューをまとめた本があるだけでした。その内容は、飛田の全体像とは思いませんでしたが、書かれている内容は信頼できるものと思われ、やがてフィールドワークには、私の掴んだわずかな飛田の歴史と松沢さんの本の抜粋を事前学習に学ばせるようになりました。

 しかし、飛田の当事者の女性たちと接触する術はありませんでした。彼女たちは当時、所有(拘束)による差別の痕跡である高さ4メートルの塀にグルリと取り囲まれたエリアの中で、店の門口に薄着で遊郭以来の「張り見世」の姿で座らされ(これは今もつづいています)、すべての店の玄関には「飛田新地料理組合」の偽装プレートが掲げられていました(これは今も全体の入り口に大きく掲げられています)。警察は、その看板を掲げることを許可し、売春防止法のもとで公然と「料理」提供の名目で買売春することを「必要悪」として容認していました。また、飛田全体の出入り口近くには暴力団事務所が構えていました。彼女たちとの直接の接触方法はもちろん、支援の人たちも見あたりませんでした。

 私が一番心配したのは、そこで女性たちへの性的強制がないか、ということでした。日本へ売られてくるフィリピン人女性たちを救出する運動をしている宗教関係者に尋ねましたが、彼女たちをリクルートする方法も接触方法も、わからないとのことでした。

 20~30人の学生を連れて飛田へ入る前には、直前の授業のなかで釜ヶ崎、浪速部落を含めて2コマ3時間の事前学習の時間をとり、うち1時間近くを飛田に割きました。飛田については、現在へと至る性奴隷制による差別の歴史と廃娼運動、そうした運動に対する国と楼主からの対抗措置として4メートルの塀と大門脇のポリスボックスが設置されたことなどを説明しました。ただ、今は多様な働き方が女性たちにありそうだと松沢さんの聴き取りを読ませ、セックスワークとして積極的に意義ある職業としてとらえる人もいるので、単純にモラルから差別してはならないこと、まして強制された人もいるので、差別などすべきではないと教えました。完全に強制は消えておらず、「ヒモ」によるものや、経済的な強制についての情報はあり、心配していると説明してきました。

 ただ、飛田の中を歩く際、女性たちは、知人に顔を見られないように、遠方から来ている人が多いと言われていること、また全身をさらす現在の「張り見世」の姿は、遊廓が女性を性奴隷的な売り物としてきた差別の歴史を残している、そのやり方を楼主がとらせている実態を確認して欲しいが、絶対に玄関の中の女性をのぞき込んではいけない、女性を見世物としてみること自体失礼だし、のぞき込むなどは論外だ、正面を向き、足早に歩くこと、そして目尻の端からそっと状況をうかがい確認するよう指示してきました。そして、地元の人たちに私たちが見学に来ていることを意識させないため、4人のグループに分ける(1人では不安を感じる者も多いと思うので)。そして、各グループ間の距離は十分取って歩くよう指導してきました。私は必ず先頭を歩き、「見本」としました。

 それで25年間、問題はほとんど生じませんでした。ただ時おり、後方を歩いていた女子学生のなかに、あとで塩や水を撒かれたと報告する者がいました。訊くと、心細くなってか、前の班と十分な距離を保っていなかったようです。「君たちの行動そのものが失礼だったのだから、怒らないこと」「でも、中を歩かなかったら、君たちは一生、飛田の女性たちのことを知らないで終わったろう」「塩や水を掛けられたことから、彼女たちの思いを考えなさい」と指導してきました。塩や水の話があった場合は、次の年のフィールドワークの準備として、私たちの振る舞いを厳しく自制する糧としました。

 こうした姿勢は、飛田に限らず、フィールドワークの対象とした全ての地域を歩く際、共通しています。私は学生に、「他人の家、友達の家に招かれて行く場合でも「『失礼します』と言って遠慮がちに入るだろう、招かれていない私たちは、もっとそうした姿勢や表情、態度を示しなさい」というフィールドワークの基本姿勢を繰り返し伝えてきました。

 そうした学生の歩く姿勢は、とくに釜ヶ崎では良い反響を生み、労働者から「学生か?しっかり勉強して行きや!」と積極的に話しかけられたり、時には学生の前でおっちゃんが演説を始めたりするなど、思わぬ出会いが数多くありました。釜ヶ崎でフィールドワークをした他の大学教員から、地元とのトラブルがあった、だから「そんな所へは行かない方がよかった」と、ほかの者から言われたという反省の弁も聞きました。しかし、「問題は、訪れる者の姿勢だろう」という思いが募りました。

 学生たちにとり、とくに釜ケ崎と飛田のフィールドワークは衝撃的でした。釜ヶ崎で炊き出しの姿などを見ると、部落解放研究会の男子学生は、部落との落差に、泣き出す者もいました。飛田でも、私たちとは別世界に生活している女性たちを知らなかったと、女子学生たちは悔んでいました。

 やがて私は、画像やインターネットなども良いが、現場に足を運び、そこに立って視ることは、それらの何倍、時には何十倍もの情報を得ることのできる学習となること、フィールドワークとは、そうした場へ学習者を引率し、学習者自らが学ぶとともに、さらに彼/彼女らが視る風景の上に、引率者(講師)は、歴史学や社会学からの情報を事前〜事後の解説・資料を通して提供し、また地元からの証言なども加え、認識と情報を新たなものへ統合させる作業であること、その結果、学習者をして現場の理解をさらに膨らませ、時にはその理解とイメージを一変させるほどの効果をもつ、高度に教育的な作業であることに気づいていきました。

 しかしながら、この教育作業には、膨大なエネルギーを、事前にも当日にも注ぎ込まねばならず、地元へ協力を求める出向・挨拶(視られる側の精神的負担を軽減する意味もある)、地図をはじめとする独自の資料準備、距離感をつかむためにわざと参加者と共に歩くことからくる疲労、その上で講義とは全く異なった環境、気象条件のもとで行う当日の説明など、通常と異なる労苦がそこにはありました。行程さえ決めて歩けばすむ観光ガイドや物見遊山とはまったく別ものなのです。

 ただ私としては、毎年、飛田のみならず、自分の姿を見られたくない思いをもつ人がいる釜ケ崎、そして浪速部落、その生活圏へ土足で学生を侵入させ、結果として眺めて帰るだけにさせているのではないかというおそれに、心が折れそうになることもしばしばでした。しかし、「来年も(後輩のために)続けてください」という学生たちから寄せられる強い励ましを毎年受けてきたことを心の支えに、彼らの今後の仕事や人生で、いつかそれが意味を持つことを信じて、ようやく続けてきたことでした。

◆じんけんSCHOLAでのフィールドワーク

 2014年、じんけんSCHOLAでも大阪のフィールドワークをするよう、強い要望が受講生やスタッフの中からあがり、内部で相談しました。それが受講生の反差別への現実感覚を強め、問題意識を高める大きな効果を持つと私は思いながらも、学生を相手としてきたときとは違う困難を予想しました。大学では1年近く講義を重ね、その上でフィールドワークの事前学習を2回行って現地へ向かっていました。授業の一環でしたが土曜日に行ったため、学生の予定が揃わず、人数も30人を超えることはまれでした。

 しかし、じんけんSCHOLAでは事前学習がほぼ不可能なうえ、呼びかければ100人近くになることも予想され、大人数の団体となることを恐れました。地元の人々が数の圧力を感じる危険性があったからです。そこでじんけんSCHOLAでは、参加者を、それを引率する講師の講座をすでに受講した者に限ること、人数は30人を超さないことを当初の条件としました。フィールドワークは研究・調査・学習の一環であり、観光のツァーや物見遊山ではないことを明確にし、参加者に学習をより深めるきっかけとしてもらうためでした。

 じんけんSCHOLAならではのプラスの面もありました。スタッフには、学校の教員として教育実践を重ねてきたメンバーが多く、なかには飛田から通ってくる子どもを担任した経験ある元教師や、地元で育った社会人もいました。彼らは、同僚や友人とともに12年間(回)も子ども達の暮らす飛田や釜ヶ崎をフィールドワークして歩いてきていたので、参加者の集団を分け、その人達が引率し、説明もするという方法が編み出されました。ただ、できるだけ参加者数は増やさないという方針を私は堅持してきました。今年の39人という数は、参加希望者が多いなか、そうした講師と、スタッフの分担努力から導き出されたギリギリの結果でした。

 大阪でフィールドワーク経験のある先生方がスタッフとして参加したことで、訪問先も新たに広がり(天王寺非人村跡や統国寺、天王寺公園など)、朝から夕方までの全日企画となりました。

◆今年の取り組みについて

 しかし、浪速部落・釜ヶ崎ともに、ここ数年は運動が大きな転換点に差しかかっていました。かつての地域共同体は解体され、分散化する個人へと問題が移り始めていました。私は、今年もじんけんSCHOLAのパンフレットで、大阪のフィールドワークを実施すると告げていましたが、地域が解体しつつある今、そこを歩く意味は本当にあるのかと自問を始め、正直言って夏頃まで自信なく消極的で、もしかして中止もあり得るかもしれないと考えていました。

 しかし、秋頃になって、じんけんSCHOLAに学びに来ている人達だからこそ、その現実を知ってもらい、次を積極的に展望するフィールドワークにする必要があると思うに至りました。それに向けて地元から話していただく内容についても、浪速部落については現地と相談の結果、また釜ヶ崎についても東京の山谷の下見に何度か行ったことをきっかけに地元の方と相談し、そうした線で報告していただくことができそうになりました。

 飛田については困難がつづいていましたが、むしろセックスワーカーの人権全体を視野に入れた講座を開設することが、フィールドワークにとって打開策になるのではないかと考えるようになりました。そうした努力が、やがてフィールドワークでも新たな局面を生み出すかもしれないと期待したのです。ようやく今年になって、青山薫先生の講座の開講にこぎ着けることができ(講座名は「セックスワーカーの人権を考える――売買春の非犯罪化と買春処罰化――」)、じんけんSCHOLAとして、新しい見方、考え方を学ぶ良い機会となったと思っています。

◆今年のフィールドワーク方針

 大阪フィールドワークを実施する気持ちを固めた私は、3年目となる今年、膨らんだ訪問先全体を再整理するとともに、現地での説明をいっそう充実させるには資料の作成が大切になると判断し、その準備を始めました。しかし、毎年7~8月の講演のラッシュが今年は9月までつづき、例年とってきた夏休みをとることも出来ないまま、教科書問題での激務(大阪市教育委員会第三者委員会への意見書の作成。40日間を費やした)に入り、疲労が蓄積していき、フィールドワークの準備も遅れました。

 10月末になり、ようやくその激務から解放され、フィールドワークの準備を始めました。しかし当日の配付資料が出来上がったのは、11月半ばであったと思います。私は、事前の準備を兼ね、じんけんSCHOLAの全関係者に宛てて以下のようなメールを送りました。

(フィールドワークにおいて)大変かつ大切な事は、そこは差別を受けた人たちが今生きている場所だということです。そこで私たちがどのように振る舞い、どのような姿勢で歩くのかという根本的な問題があります。
住民としては、見られたくない姿を、私たちは見ようとするのです。それは大変失礼なことです。まして40人、50人が大挙して「見物」にやってくるなどというのは、住民側としては基本的に拒否したいことなのです。

 
 学生たちに対して何10回となく語ってきた内容ですが、改めてじんけんSCHOLA内部でも繰り返し語らねばならないと考えたからです。しかし、その直後から疲労と、冬へ向かう寒さが腎臓の悪い私の体を直撃し、じんけんSCHOLAの講義もままならなくなりました。直前の11月21日になってようやく、今年のフィールドワーク方針について私からスタッフの皆さんへ、とくに飛田に関して以下のような内容を、伏せった布団の中からメールで提案しました。

飛田については、新地の繁華街の中を歩く場合、男性は3人以下のグループになって
歩くこと、女性は基本的に大門からまっすぐ入って「鯛よし百番」に集合することとし、女性が新地の繁華街を歩くことについては、2人以下のグループであれば、天下の公道ですので、現在の飛田の実態を確認するため、じんけんSCHOLAとしては容認することとし、しかし歩くのであれば塩や水をかけられる場合があることを覚悟してほしいと告げてください。

 
 この提案は、これまでの経験から、飛田からの対応は、男性と女性で大きく異なり、男性のひやかしは「歓迎」するが、女性に対しては、姿勢が悪ければ塩や水かけなどの厳しい反発も時にあることを踏まえ、女性は基本的に花街の中心街へは入らず「大門からまっすぐ」進み、料亭「鯛よし百番」へ向かう、しかしどうしても青春通りなど中心街へ向かいたい時は、さらに人数を少なく男性は3人、女性は2人単位とし、見学する雰囲気をさらに消し去ろうとする試みでした。

 地元の関係者からの反発が起こる要素を極小まで押さえ、しかし女性であっても、否、女性だからこそ飛田の様子を把握したい――たとえ水や塩の洗礼を受けても、という姿勢があるならば、じんけんSCHOLAとしては研究・調査と見なし、制止しない、という方針でした。この提案は直前のこととなりましたので、私は、23日当日の朝、ハルカス前に集まるスタッフのみなさんを含む参加者全体と合意を取り付け、実行する予定でした。

 しかし、私の体調は思わしくなく、安静を続けていたものの、とても1日を通して歩ける状態にはなりませんでした。せめて、冒頭の部分と、最後の浪速部落だけは回ろうと考え、23日朝10時、集合場所へ出かけました。しかし私の提案(「11月21日のメール」)は、スタッフの中心メンバー(以前から飛田をフィールドワークしてきた方)から、私がいないところでそれを実施するとなると、準備時間が必要となる、急な実行は困難なので、それまで2年間やってきた方式をさらに工夫する形で進めたいと言われました。私は当日、病気のためにすべての行程に参加できませんでしたので、あとは現場にお任せするしかありませんでした。

 ただ私は、フィールドワークの参加者が出発する際、参加者全員に対し、「私達は、これから歩く地域の住民にとっては闖(ちん)入者であり、見られたくない住民もいることを自覚してほしい」と述べ、歩く姿勢について厳しく注意しました。

 フィールドワークの一行は、旧悲田院非人村跡地(私はここで説明を終えて自宅へいったん帰りました)から天王寺公園、さらに新世界、鳶田非人村跡、そして釜ヶ崎をめぐり、現地からの話を聴いてのち、昼食を終えて午後の部となりました。てんのじ村碑、猫塚などを回り、飛田の入り口ちかくで、今も残る高さ4メートルの壁の一部を見学・説明してから、飛田への正面入り口となる大門の前で、午前中の釜ヶ崎でとった6グループに分かれて歩く方法で、慎重に実施したとのことです。1グループは5~7人、班長の判断により別々のコースを歩きました。私がかつて引率した学生の場合、距離をとりながらも同じルートを歩きましたが、この相互に無関係な別ルート歩く方法は、より優れたものと思いますし、スタッフが考案し、実施したものでした。

 ただ、当日配付していた資料に沿い、飛田の歴史や現状について、現場で解説することは、私が不在のためできず、弱くなったと思います。来年は、そうした準備をなるべく早くから十分に出来るよう、青山さんの講座をもっと前に置いて(今年は教室の都合でそれができませんでした)、可能ならば飛田の歴史もそこに加え、そのあとフィールドワークを実施できるよう努力したいと思います。

◆今後の方向

 これまで私たちの追求してきた原則を要約すれば、以下のようなものです。

 じんけんSCHOLAで主催するフィールドワークの原則は、

1 じんけんSCHOLAにおける講座の一環として位置づけ実施する
2 現地におられる当事者の方々に負担をかけない工夫と努力を不断に追求する

 
 今年の私達の企画がすべて終わった12月の初めのことでした。今期の受講者で、かつて飛田で働いた方から、じんけんSCHOLA宛にメールが届けられました。そして直接お会いしてうかがったところ、飛田フィールドワークについて「否定する意見だけ聞いて反対していたが、活動の概要を知って、全面否定はできない」「よいものはやってほしい」「来年もまたじんけんSCHOLAへ学びに行きたい」というご意見を表明してくださいました。私は25年かけて、ようやく飛田の当事者の方と意見を交わせるところに到達したことを本当に嬉しく思いました。これからは、もし私に失礼や誤解があれば訂正できますし、私達が研究・啓発の上で飛田の方々に協力できるところがあるなら、より推進したいと思うからです。

 飛田の当事者の方との今回の出会いは――まだ端緒に過ぎませんが――これまで私たちが歩んできた原則が間違っていなかったことを教えてくれているように思います。今回を教訓とし、いろいろな立場の人たちと討議をさらに深めていきたいと思います。そのためまず第一に、青山さんの講義を中心として、より広く様々な立場の方と議論や検証をつづけていきたいと考えています。多くの方とセックスワークをめぐる議論(強制、暴力、搾取、衛生、差別、非犯罪化など)を共有するとともに、そこから知恵やエネルギーをいただく学びの場にしていきたいと思っています。

 さらにフィールドワークについても、飛田の当事者の方からの意見をさらに聴き、その意向を尊重しつつ何が出来るかを改めて見いだしていこうと思います。そうした絶え間ない歩みは、きっと立場を超えて共通する最終的な目的を実現することにつながると信じています。私たちは、人権尊重をめざすすべての人たちと共に歩むことを強く熱く希望しています。
   
以上

追記 なお、今回私達へ寄せられた具体的なご批判の内容については、改めて別の形でお答えしたいと思います。