市民のための人権大学院 じんけんSCHOLA(すこら)

2018年8月~12月<第9期> JR大阪駅前で開講!

■人権フィールドワーク原論(講義録)

by j-schola on


*2017年度に開講した「人権フィールドワーク原論」の記録です。
*フィールドワークに参加される場合は、かならず事前に下記をお読みください。

 

「人権フィールドワーク原論」講義録

2017.11.4 上杉 聰(じんけんSCHOLA共同代表)
 

司会(山本)
 
じんけんSCHOLAとして、これまで京都、神戸、姫路、東京などで「フィールドワーク」をさせていただいています。この現地学習が非常に人気あるのはいいのですが、2016年度に、これを「人権ツアー」的な感覚で捉えられ、私たちの「フィールドワーク」に一度も参加していない方々から事前に抗議がなされたり、トラブルにもなったりしましたので、今回は原点に立ち返り、なぜフィールドワークするのか、そのへんのところを上杉先生に話していただき、今後「フィールドワーク」に参加される場合の事前学習の素材にもしていただきたいと思います。
 

人権フィールドワーク原論

               上杉 聰

 こんにちは。上杉と申します。

 今、山本さんからご案内がありましたように、じんけんSCHOLAのフィールドワークはずいぶん人気があります。SCHOLA開校以来3年目から徐々に、これに取り組みを始めてきたのですが去年、ご承知のような抗議もあったりして、こちらの中にも「フィールドワークをどのように位置づけるのか」について、全体の確認として、あいまいな点があったと思うんですね。どういうことかといいますと、じんけんSCHOLAは、「人権を学問にしよう」と謳(うた)って、やってきたわけです。ところが、フィールドワークというものは学問に入らないのではないか、たんなる見学会ではないか、小旅行、つまり「人権ツアー」ではないか、そういう思いの抜けないところから見てこられた方もいらっしゃったわけです。

 そのあたりをきっちりと踏まえて、「フィールドワークも実は学問のひとつ」だということを理解していただき、そこから改めて議論を進めていく形にしたいと思っています。これを、その出発点となる講義にしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。

フィールドワークとは学問における「調査研究」の一つ

 まず「フィールドワーク」について、これは学問なんだということを、「調査研究」に三つのパターンがあることから、考えてみたいと思います。

 調査研究の一つに、「文献・資料調査」というものがあります(これを①と呼びたいと思います)。私などが専門としている歴史の分野では、これはかなり大きなウエイトを占めます。この文献・資料調査の特徴とは、時間的・空間的な制約を離れ、比較的確実にそれまでの状況把握ができる、という点にあります。つまり、江戸時代のことであろうと、中世のことであろうと、少し前までの事実や状況を、かなり正確に把握できる強みが、この調査方法にはあるわけです。しかし、弱みもあるわけです。情報量そのものが、まず非常に少ないのです。
  
 文字化されているものは、全体の情報量から比べてみると、実はとても少ないものです。むしろ資料に残されていない部分の方が多いというべきです。そういう欠点を持っているわけです。しかも、それが客観的な内容だけかといえば、時には偽文書もありますし、「日記」のような資料もあります。日記には当然、書いた人の主観が入っているわけです。それを我々がそっくりそのまま受けとめると、あたかも、当人がその時書いた感情とか主観を、その時の客観的で全体的な事実であるかの如く錯覚してしまうことも生じるわけですね。そこは気をつけねばならないところなのです。

 それから、二番目の調査方法として、当事者調査、いわゆる「ヒアリング」というものがあります(以上は②)。体験者などから話を聴くわけです。その場合、聴く相手が通りすがりの体験者でないかぎり、そこに長らく暮らしたり、労働してきた、時間的にみて長期的で系統的な事実を、多岐にわたり把握することができます。かなり確実で大量の情報を把握できるわけです。

 ところが、これにも落とし穴があります。体験者のすぐ隣の会社や少し離れた地域には、まったく別の体験者が存在していることもありえます。それはもう、想像すればすぐ分かることです。その意味で、ここにも主観的・部分的な制約を持つということがあるわけです。

 では、フィールドワークはどうでしょうか。この英語は、日本語で「現地調査」と訳されてきましたが(以上③)、さまざまな調査方法の中にどう位置づけられるのかといいますと、今の時点、つまり「現時点」での状況を浮き彫りにできる、という点に特徴があります。これは、それ以外の調査方法には無い特徴なわけです。①も②も、過去の情報が圧倒的に多くなってくるわけですが、フィールドワークについては、「今」を把握することが出来る、というのが特色だと思います。そして、工夫すれば空間的にもいろんな方面から調べることができますから、多面的・多角的な把握となります。情報量も多いです。「百聞は一見に如かず」と言われる、そのままのところがあります。

 たとえば、私たちが今教室にしているこの大阪駅前第二ビルとはどういうものなのかを調べたいと思いますと、地図で見たり、人の話を聞いて把握することも可能ですが、ここへやってくることが一番簡単な方法なわけです。

 ところがこれも、訪問した時点、今日ここに来た時点での、時間的な制約に縛られる認識の側面があります。昨日どうだったのか。明日は、実はここは休みなんです。明日来ると、全然状況が変わっているわけです。そういう制約、しかも大阪駅前第二ビルと第一ビルは並んでいるから、同じようなものだと、我々はつい思いますけれども、これも全然違うものですね。こうした空間的な制約もあります。
 
 そうした意味で、ここまでの話を総括的に言うなら、①も②も③も、それぞれの長所と短所があるということですね。

 そのため、本当に意味のある調査をするためには、すべての調査方法を組み合わせる必要があるのです。たとえば、私は歴史の研究をして文献を読みますね。で、それで分かったつもりでいると、だいたい間違います。その現場へ足を運んでみると、「あぁ、文献に書いてあったあの言葉は、これを意味していたのか」というようなことが、日の昇り具合だとか、川の流れ方だとか、風景、そして町の細かな表情などを通して初めて分かることが、いっぱいあるわけです。それは、①②③それぞれ、お互いにとって、他の側面が非常に重要な、補完的な意味をもっている、ということです。
 
 その意味で、正確な調査をするためには、①②③のすべてを丹念に押さえていくということなんですね。どれが欠けても不十分になります。

 ただ、どうしても欠けてくるものがあるわけです。歴史の関係でやっていれば、過去へタイムスリップできませんから、情報量は、それは圧倒的に少ない。だから生きている人間を探した、といっても、100年も昔のことであれば、もうほとんど居らっしゃらないわけです。現在の時点を歩いたころで、それは100年前の状況とは違うわけです。そうすると、①②③それぞれやっぱり限界を持ちながら、しかしながら三つの側面を総合することで補充し、全体を深め、情報量をなるべく多くして、正確な知識に近づけていくということ以外ない、ということですね。

フィールドワークは「タイヘン」

 そういうことを確認した上で、「フィールドワーク」について、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

 冒頭、私は「人権ツアー」という言葉を使いました。それは今、いろんな所から「上杉さん、今度うちでもフィールドワークやってくれませんか」と言ってきて、
「え、何するんですか」と訊くと
「〇〇(地名)でやってほしい」と言われ、
「いや、それは、たいへんな事なんですよ」とお答えします。
  
 フィールドワークが調査研究だということを、まず分かっていただけない場合があるわけです。それは、ただ見て歩くだけのことではないんです。その場所をきちんと文献的に押さえ、そしてそこで生きてきた当事者の方に語ってもらうということまで含めると、どれだけたいへんかということを、ちょっと考えていただきたいのです。

 まず、文献調査だけでも、たいへんです。それから、そこに関係する人が生きておられるかどうかを、人づてに探していって、そして話し込み、
「今度フィールドワークに来るんですが、当日のご予定は如何ですか、そしてこれこれについてお話ししていただけますか」ということをうかがい、さらに謝礼も含めて当日現場への送り迎え、アテンド(付き添い)など全部やらなければいけないんです。

 そしてリーダーは、さらに何人かを連れて引率し、そこを歩くわけです。それは、旗を立てて引率するだけとは、ちょっと違うわけですね。
 
 最近、フィールドワークへの要望がすごく多いものですから、ちょっと苦言めいた表現になっています。ただ、人権研修をしたいと考えて、被差別地域を歩く計画を誰かが考えられてみられるのは、ある意味で当然だな、とも思うんです。というのは、文献とか資料などを読むのは面白くないじゃないですか。で、やっぱり現実にそこへ足を運んで、空気を吸いながら、そして何と言いますか、現場の状況を見ながら、物事を理解できるとすれば、こんないい事はないわけですね。その意味で、私は、「人権ツアーをやっちゃいけない」とは申しません、「人権ツアーもまた意味がある」と、私は思います。

 でもそこには、どうしても注意しなければいけないことがいくつもある、と思うんです。とりあえず、「人権ツアー」から始まってもいいから、それをより充実した「調査学習」とするためには、①②をフィールドワークの前とか途中か事後に、組み入れる努力をしていかれるのがいいだろうということを、まず頭に入れていただきたいと思います。そして、そうすれば「人権フィールドワーク」に近づいていきます、ということでもあるわけです。

「人権フィールドワーク」とは?

 では、「人権フィールドワーク」とは何なのかというと、それは「被差別者の居住とか労働する現場、そこを改めて当事者の視点から捉え返し、そこにいる人とそれを外から見てきた自分との『立場の違い』を克服することを目的とした研究・学習(調査)方法のひとつ」と定義してよいのではないかと思うんです。

 そこでまず、よい例からご紹介したいと思います。

 私は大阪市立大学で10数年、学生を連れて市大周辺――そこに「浅香」という被差別部落があるんです――を歩いてきました。その部落がどういう立場に置かれてきたかといいますと、大阪の南の端、堺市との境界を流れる大和川沿いにあるんですけれども、その土手に、一般村から排除される形で住まわされてきました。一般村と部落は、互いに村の端っこと端っこに離れて住んできました。地図を見ると、まるでけんか別れでもしているかのように見えます。
 
 その一般村と部落との中間に建てられたのが大阪市立大学です(当時、大阪商科大学。1928年に天王寺からの移転を決定)。通常、明治以降は、ほとんどの村や町の人口は増えるものですから、双方の住宅地は互いに拡大し、やがて混じり合い、どこからどこまでが一般地域で、どこからが部落であるかは、一目で分からないように入り組むものです。ところが、この2つの村の中間に市大が建てられたため(完成は1935年)、その互いの隔絶状態が、市大の存在によって維持され、ここからは部落、あちらは一般村、という明確な区別が戦後も長く続くことになりました。
 
 さらに1960年には、その市大の校舎の隣に地下鉄の巨大な車庫が建てられ、合わせて――どちらも大阪市営です――部落を覆う形になったのです。この部落の場合、むしろ近代になり、陸の孤島化が完成したのです。

 どんなひどい事があったのかといいますと、例えば水道は、一般地域から地下鉄車庫までは来ていました。もちろん、市大にも来ていました。しかし部落には来ていない状況が、戦後もずっと続いたわけです。これは差別ではないかーー市大や車庫の存在も含めてねーーということを浅香の部落の人たちは訴え始めたんです。これに対し、
「いや、差別だからといっても、こんなもの、どけることができるのか」
という疑問も出てきました。とくに地下鉄の車庫は鉄の塊です。それを撤去することなど出来るだろうか、と多くの人が思ったんです。けれども、その車庫で働いている労働者が、それを考え始めました。
 
 地下鉄車庫の労働組合の委員長さんが、そこで働いている一人ひとりに対し、「いっぺんでいいから、あの部落へ行ってみろ」と言って説得をしたんです。労働者の皆さんは、車庫の中で仕事をしている分については、苦労も無かったんですけれども、部落へ行ってみると、車庫の内部から列車を修理などするキーンという鉄を加工する音が、夜中じゅう部落へ対して鳴り響いていたわけです。
 
 また、部落の最寄り駅は、現在のJR阪和線の杉本町駅なのですが、直線距離で歩いて行くことができれば良いけれども、地下鉄車庫と市大が遮蔽物になって、皆さんずいぶん遠回りして杉本町駅まで歩いて行かなくてはならない。  
         
 だから、「部落へ、とにかくいっぺん行ってみろ」とおっしゃり続けたといいます。自分たちのこの地下鉄車庫が、どれだけここの人たちの生活の邪魔をしているか、そのことは、我々がそこへ行ってみないと分からない、と一人ひとりを行かせたわけですね。

 その結果、労働組合員全体が「ここの部落の人たちに対し、我々の職場が悪い事をしている」という共通認識が育ち、この地下鉄車庫の撤去運動を部落の人たちと一緒にやったわけです。その結果、大阪市長も動き――その頃の大阪市長はまだ良かったですから――地下鉄が堺へ延伸する機会を捉えて、「だったらもう車庫をここに置かなくていい」、ということで、巨大な鉄の塊が撤去されたんです。現代の奇跡だと私は思いますね。

 私は委員長のその話を聴いて、これが人権フィールドワークそのものだと思いました。自分の生活の内部に居る限り分からないことを、生活の場を離れ、自分たちの生活が他の人々をどう侵食しているか、そこを歩いてみて初めて分かったわけですね。

 いわゆる「人権フィールドワーク」と言う場合、これまでの自分の立場を離れて、向こうの立場から自分たちの立っているところを見なおす、言い換えるなら視座を変える、視点を変える、そしてその現場に立ってみて、あらためて自分が生活してきた場を見直す、これをするのが「人権フィールドワーク」だと思います。

 それを効果的にやるためには、部落へ行く前に、地下鉄車庫の労働者は資料をあらかじめ読み、さらに現場で、部落のおっちゃんとかおばちゃんと話が出来たら、もっといいですよね。ですから、組合として部落の方々にちゃんと協力してもらえるように、解放同盟の支部と連絡を取り合ってやっていけば、労働者の見方も随分変わるでしょう。部落へは、いったいいつ頃行ったらいいかとか、何処へ行ったらいいか、支部にたまたま誰も居なければ、どこに話を聴きに行ったらいいか、というようなことを案内しておく。
 
 また、あらかじめ車庫と部落を、一般地区を含んで上空から撮った航空写真なども、彼らに見せておくと良いわけです。地上に立っている限り見えない姿も、上空からは客観的に見えます。すると、南側は大和川でしょ、もう大阪の南の端です。そこの土手に部落が押し込められ、大阪市内からいかに隔離されているか、よく分かってきます。そこに、こんな巨大な鉄塊がのし掛かっていることは、地面だけを歩いていたらよく分からないことでした。その意味で、文献(写真)的に把握して初めてその重圧が理解できるという面があったわけです。

 やはり、よい資料、そして当事者の話を聴くということが、ここでやっぱり課題であったし、それを実現できたから大きな成果を挙げた、と言えると思うんですね。

「人権フィールドワーク」がもたらす差別意識の克服

 そして「人権フィールドワーク」がもたらすもう一つの効果として、差別意識の克服があります。車庫内に居た労働者たちは普段、あまり部落には行きません。とても近いのに、なぜ行かなかったのか。それは、部落は密集地帯で、火事が起こっても消防車すら入ってこれないような狭い所だったわけです。明らかに、一般社会から見ると、異質な所でした。
 
 そうした場所に対しては、ちょっとした違和感とか恐れ、怖さというものを免れることができません。そんなところから、車庫を撤去してくれという声が上がってきても、一般地域の人々の心にはなかなか響かないわけです。
 
 ところが、そこを歩いてみて、そしてそこに住む人々と触れ合って、「ここも私と同じ人間の住む場所であり、現に自分と全く同じ人が住んでいる」という事に気づいた時、自分の差別意識が壊れていくわけですね。その意味で、フィールドワークをすることそのものが差別を克服する、そういう実践にもなる、そうした意味からも「人権フィールドワーク」という呼び方が可能だろうと思います。

 ひとたび、きちっと現場へ入って体験をし、事情を知り、そこで暮らし働く人と正面から出逢うなら、その後、訪れた人の多くは、人間が変わります。これこそ、多くの人がフィールドワークに期待しているところだろうと思うんですね。その期待は間違いではないですが、そこへ行くまでには、やはり相当の準備が必要だということを、だいたい分かっていただけたと思います。

 もう一つの例として、関西大学の授業で「怖い」という差別意識を取り上げたときのことでした。「この差別意識はものすごく古いんだよ。いつ頃からあるかというと平安時代の中期からだよ」と、こういう話をやっていきますと、学生から意見が噴出してきました。「先生、私も怖い」と言うんです。まだ18、19歳の女子学生ですよ。「何が怖いの」と訊いたら「お祖母ちゃんが、『怖い』と言ってた」と。
 
 彼女の話によると、お祖母さんが小さい頃、自転車で部落の中へ迷い込んだそうです。で、そこから出てきた時、「もう、本当に怖かった!」という話を、お祖母さんがしたというのです。「何があったのか」と私が尋ねたら、何もなかったそうです。ただ、その時の「怖かった」というお祖母さんの感覚だけが、その孫に伝染していたんです。こうして彼女は、「部落は怖い」と言うんです。
 
 「さあ、どうしたらいいか」と考えた時、まずいろいろと授業の中でやりました。でも、やっぱり現場を足で踏むのが一番いいんじゃないかと考え、一番最後の授業で、関大近くの部落へフィールドワークに行きました。部落の中へ学生たちと歩いて入っていくと、向こうから小さなオートバイに乗った青年が、くねくね走らせながらこちらへ向かってくるものですから、授業の中で「怖い」と言っていた女子学生は、「先生、怖い」と言って私の腕をつかむわけです。「いやいや、なんてことはない。君のな、気を引こうとやってるだけだ」という説明から始まり、その部落の若者たちと啓発的なゲームをやって数時間過ごしたらですよ、「どうだった?」と訊くと、「先生、怖くなくなった」と言うんですよ。「もともと、その程度のことだったら…」とも思ったのですが、それでも20~30人の学生を連れて、こんなフィールドワークをやれたことは、私にとっては一つのいい体験だったと、思っています。

 関西大学では、一年間、講義形式の授業をやって、最後の一回をこのフィールドワークの授業に当ててきました。その前に二コマぐらい事前のレクチャーをやった上で部落へ入るのですが、終わった後「行くかどうか、はっきり言って、あまり行きたくなかった。だけど、行ってよかったです」と、まず9割以上の学生が、そう言ってくれました。「とても勉強になったこの授業、続けて下さいね」と学生に言われ、フィールドワークをずっと続けてきたというのが、これまでの私が1990年代からやってきたことでした。
 
 そういう点で「人権フィールドワーク」は、大きな成果を得る可能性があるわけです。

「フィールドワーク」が持つジレンマ

 しかし、外側から引率をして現場へ入る者と、現場に住み、働いておられる当事者の方々双方にとって、フィールドワークには非常に大きなジレンマがあるという事も、同時に知っておいていただきたいと思います。
 
 つまり、差別を克服する目的をフィールドワークが持っているとしても、また地元に住んでいる人たちがそのことを理解した上でもなお、たとえば「私が体験したつらい体験を、もう一度喋れというのか」という、葛藤ある思いを、私たちは理解する必要があります。
 
 被害を受けた人には必ずトラウマがあります。心が傷ついているわけです。それを、もう一度思い出して喋っていただくためには、沈む気持ちを自分で持ち上げなければならないのです。「そういう事をやらせるのは、失礼やな」と思うことも、そちら側には当然あるわけですね。語る者としては、思い出したくない辛い過去、自分が侮辱された心の傷まで、それを改めてみんなの前でさらけ出さなくても済むのなら、そっとしてほしい筈です。それは、やっぱり非常につらい事なんだということを訪れる側は、まず理解する必要があると思うのです。

 そして、もう一つ。地元に住んでいる人すべてが喜んで「おいで、おいで」とするわけではないんです。現場で受け入れてくれる中心人物は、外から来る人たちの事をある程度理解はしているけれども、その隣に住む人は、「え、なんであんなに人がぞろぞろやって来るん?」と、思う場合があるわけです。やってくる中心人物は理解できても、その後ろに「金魚の糞みたいにくっついているあの人たちは何だ」という違和感が、やっぱり受け入れる側としてはあるのです。そうした時、どういう事が起こるかといえば、引き入れた、「入っていいよ」と言った当事者の顔を見るわけです。彼が本当の意味で、やってきた人たちを信頼しているかどうか、そういう事も見ながら、うかがいながら、この人たちをどこまで信じたらいいか、という疑心暗鬼の中で受け入れる場合もあるということを、我々は知っておかないと駄目で、誰かの許可を得たからそこに入っていいんだ、ということにはならないんです。

 とはいえまず、地元で受け入れてくれる人が少なくとも1人はいるような努力をする必要はあります。1人からでも信頼を獲得していれば、「まあ信頼してもいいかもしれない」と思われるわけです。けれども、それで百パーセントがクリアできるわけではないということですね。

 その意味で、フィールドワークに行く時は、まず現場に圧力を感じさせない工夫が必要です。圧力とは何か、これはまず服装ですね。釜ヶ崎へ行くのに、ハイヒール履いてパリッと着飾って行く人は居ない、ということです。こんな事を言うと、学生たちを連れて釜ヶ崎に入ろうと2、30年前に思い立った時のことを思い出すのですが、「あそこはやめた方がいい。この間、歴史の関係者が入ってトラブルが起こった」と言われたんです。その引っ張って行った人がやったことを私は知っていました。きちんとネクタイまでして入っていったらしく、「そら、釜のおっちゃんは怒るだろうな」と、僕は即座に思いました。
 
 そこに住んでいる人は見世物ではないんです。まずその人たちと同じ目線で――同じ目線だけじゃないですよ、どこかの家に入る場合と全く同じです。そこは生活の場でしょう。ましてや釜ヶ崎というのは、今でこそ少し変わってきましたけれども、夜になってお金が無い場合には、道路は寝る場所です。その「寝室」に我々は入っていくわけです。そういう時、「ちょっとごめんなさいね」という表情があるかどうかです。「ここは天下の公道だい」ということだけで、堂々と傍若無人にそこへ入っていくならば、そりゃトラブルが起こります。
 
 だからまず学生に、「そこは誰でも行ってもいい場所ではあるけれどもーー公道だからねーーだけれども、生活の場でもあるから、「ごめんなさい、お邪魔します」という気持ちを繰り返して表情に出し、そう呟(つぶや)きながら歩けよ」と言ってきました。フィールドワークの前には、そういうことを必ず徹底しないとだめですね。

 それから、フィールドワークへの参加人数の件です。人数が多ければ多いほど、教育的な効果は広く大きくなるわけです。100人ぐらい集めてね、スピーカーを使い、会費も取って、となれば更にいいわけです。でも、ちょっと考えてみてください。100人ぐらいが自分の小さな村や町へやってきて、スピーカーで、何かうちの村の事を喋ってる――これは嫌ですよ。「何を喋ってるのだろうか」となります。選挙演説で来ているんだったらまた別ですけれど、住人について語っているわけですから。

 ですから、なるべくそっとやるべきなのです。ということは、スピーカーはなるべく使わないほうがいいです。使わないで、肉声だけで廻れる限度というのは、だいたい30人位だと、経験的に私は思います。それ以上の人数ではなるべく行かないほうがいい。どうしてもという場合は、今はワイヤレスのマイクロ送受信機があります。小さなマイクに語りかける声は、外に大きく聞こえなくても直接にワイヤレスで各自の耳に届く、そういう機器もあります。

 本当は30人でも多い場合があります。そうした時は、さらに小さく分け、10人、さらに5人、さらに2人という形で別行動するなどの工夫もすべきだろうと思います。そして、じろじろ見ないこと。泣いている時、辛い思いをしている時、「泣いてるの?」と手で相手の顔を持ち上げて見る人はいないでしょう。傷ついたことを話す時は、やっぱりみんなあまり顔を見られたくないわけです。それをジロジロと見るということは、やってはいけないことです。
 
 そういう失敗例もお話しておきましょう。岡山県の北部で1873年(明治6)、18人が虐殺された部落があるんです。それを私は本に書いて、これでおしまいと思っていたら、その本を持って、沢山の人がその村へ出かけて行ったわけです。小さな村といっても200軒ぐらいですけれど、そこへ大型バスを乗り着け、そして立ち小便までして帰っていったわけです。私がその後に行った時、「こんなことをされた」ということで、二度とそこへ私は人を連れて入れなくなったんです。「何を考えているのか」と私は思いましたが、そういう実態がありました。他人の生活の場へは、どんな場合でも、静かに、礼儀を保って入るべきなのです。

 それから「撮影」の問題に触れておきます。このあいだ釜ヶ崎と飛田へ、私はカメラを持って、タクシーで写真を撮りに出かけました。そのタクシーの運転手さんが、「え、そんなことやっていいの?」と言ってくれるわけです。「このあいだ、大きなカメラを持って入ろうとした人がいて、現場で取り上げられたよ」と。「そりゃそうだろうな、なんでそんな馬鹿な事するの」と僕は思いましたね。カメラに関する体験は、仲間がいっぱいしているんです。例えばアメリカ人で、山谷で2年間調査をした友人が最初に山谷へ入った時、地べたに寝転がっている人を写真に撮ったんですって。ばっと取り上げられて、フィルムを全部抜かれて、ビンタをくらわされたと言っていました。
 
 当たり前ですよね。誰でも一般的に肖像権を認められていますけれど、たとえば釜ヶ崎に居る人たちの中には、今ここに居るということを、親族に知られたくない人だっているんですよ。あるいは飛田だったら、自分の幼なじみが何処かでその写真を見るかも知れないじゃないですか。絶対にやってはいけないことです。ですから、まず大きなカメラは絶対に持って行かないこと。そして、カメラで撮る場合は、可能なかぎり公然とみんなに了解してもらった上で撮る、ということです。なるべく小さいカメラを持っていって、ここだったらいいかな、という形で、なるべく周りを見回して、配慮すべき点がないかを点検し、あるいは直接レンズを向ける場合も「写真撮っていいですか」と尋ねて、それでOKもらってから撮る、ということです。

 生きている人が居るところへ出かけ、私たちはその人から学ぼうとするわけです。その方に対し、得手勝手をしてはなりません。他人様の住んでいる場へ、まさにお邪魔に行くんです。この、「お邪魔に行く」という感覚がない人は、フィールドワークには行くべきでない、やめるべきです。またそのことは、フィールドワークの事前に、参加者に必ず伝えなければいけない。
 
 ですから去年のフィールドワークでも、集合地点だったあべのハルカスの前で、それを私は最初にお話しし、それから出発してもらいました。「これから行くところは、ご免なさい、と言って入る場所ですから、その気持ちを持ってください」とお伝えしたんですね。
 
 ところが、私たちのフィールドワークを「けしからん」と言ってウェブサイトに投稿してきた人たちは、そこに来ていなかったんです。寝坊したのかどうか知りませんが、大幅に遅れてきて、飛田の中に入るところから参加した人もいました。それでいて、町を「練り歩く」企画だった、などと書いたわけです。町を練り歩いてなどいませんし、重要な所はきちっと人数を小さく分けて、地元の女性たちにも負担をかけないようにして、10年も20年もやってきたわけです。そのあいだ、地元とのトラブルなど一切ありませんでした。それを知りもしない、見もしないで、そんな事をおっしゃるものですから、「もう何をか言わんや」とただ呆れて開いた口がふさがりませんでした。
 
 もし、本当に女性の立場を考えておられるのであれば、むしろ飛田で暴力団や経営者によって性的強制が行われていないかを、フィールドワークを基礎に、調査すべきです(その後、売春場所提供容疑で暴力団幹部と経営者が逮捕された事件が報道されています<2018.5.22,7.18産経>)。たんに「見るな、行くな」という立場は、加害者に手を貸すものであることも、この間分かってきた事態は示しています。

「フィールドワーク」の準備について

 最後に、改めて申します。フィールドワークのためには、良質な資料と良質な証言を確保しなければいけません。それから下見が必要です、できれば何回も。忙しくて、私も手抜きをして1回で済ますこともありますけれど、最低1回はどうしても必要です。今年はもう2回ほどやりました。
 
 そして引率者は、散歩やランニングをして脚力の準備をすることも必要です。私も今年古稀です、足もよろよろになってくるわけです。頭を働かせなければならないけれど、肉体もしんどいです。そういう意味でフィールドワークというのは、これはものすごくしんどいことなのです。でも、意味があるからやる、ということだと思います。そのあたりの覚悟が必要と思います。そして、なるべく事前学習をきちんとやって、終われば当日は大きな成果が上がるということを体験してきましたので、これからもそんなことを期待してやっていきたいと思っています。
 

司会

 私たち教師のグループでも、「阿倍野周辺フィールドワーク」ということで、ずっと飛田とか釜ヶ崎をフィールドワークしてきました。今、先生が言われたように、そこは皆の生活の場、生きておられる場なので、絶対に物見遊山で入らないで下さいと、近くの小学校を借りて事前学習をしてから、毎回フィールドワークしてきました。一番多い時は80人ほどでしましたけれど、その場合も10数人のインストラクターで分けて引率してもらったことがあります。それだけ気を遣っていても、やっぱり飛田の中では、特に女性が参加する場合は嫌われます。でも、先生の言われたように、行かれた方は「すごく実感として現状がよくわかりました」ということを、たくさん言ってもらいました。では、今日のところはこれで終わりましょう。