3巻と4巻

■第4巻 明治維新と賤民廃止令

部落問題には「迷信」がいくつもあります。 1871年(明治4年)に明治政府の出した「穢多・非人」に関する布告もその一つです。 これは「解放令」と呼ばれてきましたが、原文には「布告」とあるだけで「解放」の文字はどこにもありません。 「解放令」と呼ばれるようになるのは50年後のことでした。 このため本巻では、研究に基づく厳密な呼び方として「賤民廃止令」を使いました。

部落差別を撤廃する本格的な動きは、長州藩で身分を超えた軍隊・奇兵隊がつくられ、差別されていた人々が「維新団」などの名で命をかけて幕府軍と戦い、大活躍をしたことに始まります。 しかし幕府が倒されると、人々は明治政府に裏切られ、そうした流れの中で「賤民廃止令」が出されたのです。

このDVDでは最新の研究をもとに、明治政府が、差別をなくすためでなく、地租改正により税を取る目的で「賤民廃止令」を出したこと、したがって壬申戸籍に差別的な記載をすることも政府自身が許可したことなどを、公文書をもとに丁寧に描きます。 近代社会においても「部落差別」が存続した構造を浮かび上がらせています。

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■第3巻 近代医学の基礎を築いた人々

江戸時代の医学や科学といえば、「鎖国による遅れ」のみ意識しがちです。 しかし、江戸中期になると新しい動きが始まります。 医学では、漢方医の中から山脇東洋が、日本初の医学解剖を実施し観察しました。

もちろんそこには、西欧の書物がしだいに入ってきた影響もありました。 山脇の17年後に解剖を実見した杉田玄白は、手に『ターヘル・アナトミア』という洋書を持って解剖を見学し、内臓一つ一つをその図と引き比べ、正確さに感動しています。 玄白たちが、その解剖書を苦労して翻訳し『解体新書』と名づけ世に出したことはよく知られています。

しかし、そのとき実際に臓器を解剖して見せたのは、当時「穢多」と呼ばれ、差別されてきた人々でした。 山脇東洋のときもそうでした。 部落の人々は、動物などの死体を処理する仕事を続けてきた結果、人と動物の内臓を熟知していたのです。 東洋も玄白も、医学の「内発と外発」の接点に立つことで、大きな成功を手に入れたのでした。

そこには、大切な命と向き合い、生きてきた人々の知識と技術に敬意を払う2人の医師の姿があったことを、このDVDでは貴重な原書などを取材し描きました。

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