<ご心配いただいている皆様へ その2>
2017年1月29日
じんけんSCHOLA(以下「SCHOLA」)が昨年11月23日に実施した「上杉聰・石元清英と行く~大阪/光と影のフィールドワーク」は、旧非人村(釜ヶ崎ほか)、飛田遊廓跡、浪速部落などをフィールドワークする企画でした。その内容に関し、ある方から「飛田に入るのは人権侵害になるので飛田フィールドワークを中止せよ」という批判と要求が寄せられました。飛田フィールドワークに関してはすでに昨年12月22日、SCHOLAの共同代表である上杉が「飛田新地をなぜフィールドワークするのか」で、これまでの取組みに関して経過も含めて目的などについて文書をまとめ公表しました。今回はそれにつづき、「今回の事態に関する反省」を書きましたので、ここに公表いたします。
なお、上杉はフィールドワークの5日前から体調を崩し、フィールドワークの当日も十分な対応ができず、またこの文書の作成・公表についても遅くなりましたこと、合わせて深くお詫びいたします。
今回の事態に関する反省
2016年11月23日に実施した飛田フィールドワークについて、Aさん(仮名)から文書が公表されています。
その記事を発信されたAさんからは、昨年4月の段階で初めて、飛田フィールドワークについて私に疑問が寄せられましたので、直接お答えいたしました。SCHOLAでの「セックスワーカーの人権」に関する神戸大学の青山薫さんの講座開設(同年11月26日に実施)に向けても、ご協力いただきました。
しかし、Aさんの記事に接し、飛田フィールドワークの責任者である私は、一度も「飛田に入らない」という約束をした認識をもっていないため、少なからずショックを受けています。ただ当方も、以下のように、いくつか反省し、お詫びしなければならない点があります。
事実関係と反省
① 2016年の飛田フィールドワークのやり方について、同年6月にSCHOLAあてにAさんとは別に元セックスワーカーを名乗る方からメールで、「飛田フィールドワークで被るセックスワーカーたちの精神的苦痛を回避する方法について熟慮してほしい」旨の要請がありました。そのことを受けてSCHOLAの運営協議会(6月6日)で、飛田フィールドワークについて私の考えを報告し、「一部に反発や疑問があるようなので、今年は残る外壁だけを見て中に入ることをせず、ワンクッションを置き、今年は時間をとって飛田内部への入り方をセックスワーカーの方たちと相談し、改めて来年からの方法を生み出す方法もありうる」という趣旨の発言をしました。しかし、最終的な結論を出しませんでした。昨年もひきつづき飛田フィールドワークのよりよい方法を追求・熟慮しつづける必要があったからです。
それが、これから「飛田は、旧遊郭の壁を見るのみとする」という方針の決定があったものと、正確でない形でAさんたちに伝わってしまいました。昨年のフィールドワークについては、責任者である私がまず実施を十分追求しなければなりませんでしたし、たとえ一度は「飛田へ入らない」としても、その後、よりよい方法を当事者の方々と共に見いだし、疑問を寄せている方とはその線で時間をかけて合意をはかり、フィールドワークを続けるつもりでした。したがって、その時点で、まずSCHOLAとして「未決定の内容をお伝えした」ことをAさんたちにお知らせし、訂正をしなければなりませんでした。
しかし私からの訂正は、結果としてうまく伝わりませんでした。そこで私は、Aさんが昨年11月23日のフィールドワークに参加を申し込まれていましたので、当日の朝、その訂正をお伝えするとともに、私の方でさらに考え工夫してきた新しい方法の両方を、合わせて午前10時の集合場所で、出発前に説明しようと思っていました。しかし、Aさんは午後からの参加となり、それもできませんでした。
そうした不測の事態を想定し、SCHOLAとしてあらかじめ「未決定である」と伝えておけばよかったと思いますし、その上で2016年のやり方を丁寧に提示すべきでした。私たちは、必要な情報を提供せず、その結果Aさんに誤解と混乱を与えてしまいましたことを、ここにお詫びいたします。
② フィールドワーク当日、私は体調不良で中退し、飛田について参加ができませんでしたので、経験あるスタッフにナビゲーションを任せました。そのスタッフが「聞く耳を持ってくれないあからさまな態度」とAさんに受け取られるようなそぶりをしたとも訴えられています。当日(飛田部分)のフィールドワークを、私が不在の中、予定通り実施し、参加者全員に責任をもち引率する忙しさの中に置かれていたとはいえ、もしスタッフにそうしたことがあったとすれば、それも委任した私の責任ですので、この点についてもAさんにお詫びいたします。