<ご心配いただいている皆様へ その3>

2017年3月31日


 じんけんSCHOLA(以下「SCHOLA」)が、昨2016年11月23日に行なった大阪(飛田を含む)フィールドワークに関し、セックスワーカーの人権を守ろうとするある団体の方々から批判が寄せられました。
その批判は、①「飛田フィールドワークについての考え方」の違いと、②今回の飛田フィールドワークに至る過程でのコミュニケーションミスに起因していると私たちは考えています。
そして、①については、「ご心配いただいている皆様へ」(2016/12/22、以下「その1」)の文書において、私たちがフィールドワークをどう考え実施してきたかを明らかにしました。そして、SCHOLAの飛田フィールドワークは、「物見遊山」などで行なってきたのではないことを、詳しく説明させていただきました。さらに、②についても「ご心配いただいている皆様へ その2」(2017/1/29、以下「その2」)で、「今回の事態に関する反省」を行い、SCHOLAとして配慮の足らなかった面があり、それに起因して批判を受ける事態につながったことを明らかにし、お詫びをしました。
こうした経過を経て、さらにこれまで当該団体の方々とのやりとりをし、11月23日にネット上に出された記事などが、誤解に基づく中傷を含む内容であるため、ネットからの削除や訂正をしていただくよう要請してきました。しかし、これについてはまったく受け入れられませんでした。そのため、「ご心配していただいている皆様に その3」として、現在もアップされ続けている記事に対するSCHOLAの説明をここに公表させていただきます。

ネットで配信されつづけている記事について私からの説明

上杉 聰
(じんけんSCHOLA共同代表、大阪フィールドワーク講師)

昨年11月23日にFacebookで公表されたAさんによる記事は、以下の枠囲い中の文章です。(枠内の文章を順につなぐと記事の全文になります。また文中の下線を引いた部分に、私・上杉が枠外にコメントしました。なお、お名前は削除かイニシャルにしています。ケアレスミスと思われるものは訂正しました。)

「市民のための人権大学院じんけんスコラ主催の飛田新地フィールドワークの問題」
本日11月23日に飛田新地で行われた、人権学習団体・じんけんスコラのフィールドワークがひどかったので、ぜひ多くの人にお読み頂けますようお願いします。
【飛田新地フィールドワークとは】
「上杉聰・石元清英と行く~大阪/光と影のフィールドワーク」と題し、飛田遊郭跡~旧非人村~浪速部落を、人権問題に関心ある市民の人々が朝10時~夕方5時まで練り歩くというものです。
参加者は37名くらいで、学校の先生や人権問題に取り組むお仕事の方々などが多かった印象です。じんけんスコラ側の、飛田を案内する引率役は大学の先生や小学校の先生など、飛田周辺のナビゲート経験ありの3人程でした。

○飛田フィールドワークをSCHOLAが実施するにいたった経過や意図は、「その1」で説明しました。
SCHOLAは、釜ケ崎、浪速部落などとあわせて飛田へのフィールドワークを、人権の観点から実施してきました。そこにある差別の現実から学びを深めるため行ってきたものですので、決して「ひどい」とか「練り歩く」という言葉で表現されるものではなかったと私たちは自負しています。
たとえば、当日のナビゲーターは「3人」ではなく6人でした。「たいした違いではない」と思われるかもしれませんが、全体の参加者は正しくは40人ですから、「3人」のナビゲーターだと1グループあたり13人以上になります。しかし私たちは、当事者の方たちへの配慮から、1グループの人数をできるだけ少なくする工夫と努力を続けてきました。当日も1グループを約6人としていました。「3人程のナビゲーター」という記載は、「練り歩く」という表現と相まって、いかにも「物見遊山」的にSCHOLAが飛田フィールドワークを実施したという印象操作になると思います。

昨2015年、この飛田フィールドワークの存在を知ってから、私たちは事務局に対し、以下のような努力や説得を重ねてきました。
【この一年間の私たちの要請・努力】
●2015年11月
飛田フィールドワーク責任者である上杉聰さん宛てに、セックスワークの問題について理解を深めるための資料をたくさんメールで送りました。

○上でAさんは、2015年から私たちに対し「努力や説得を重ねてきました」としておられます。しかし、確かな記録と記憶によりますと、2015年8月から11月まで、私たちはSWASHメンバーのAさんに対し、むしろ飛田へのフィールドワークへのご協力を要請してきており、そのころAさんは、そうした私たちに対し、批判をまったくしておられません。2015年から「努力・説得を重ね」た、というのは事実とは異なるのです。急転したのは、以下にあるように2016年以後のことになります。

●2016年4月
SWASHメンバー2名が上杉聰さんにお会いした際、飛田新地に集団で見学に行くのは働いている人たちが嫌な思いをするからやめるように約2時間話し合いました。しかし、先方は、働いている人間を生でみて学習することに強くこだわり、話し合いは平行線でした。

○この時の話し合いは、Aさんの先輩でありSWASHの中心メンバーでもある方に、SCHOLAの講座への講師依頼をすることが主な内容でした。決して約2時間を使って「飛田新地」に入る・入らないということをやりとりしたわけではありません。ただ、その話の途中、Aさんは突然、飛田フィールドワークへの批判を始められました。こうした批判は初めてのことでした。私たちのフィールドワークをご覧になったことも、参加されたこともないAさんから、しかも私個人の場合25年間、問題なくやってきた飛田フィールドワーク(「その1」参照)を、なぜこの時、突如として批判されなければならなかったのか、その「理由」は今も分かりません。
また、「働いている人間を生でみて学習することに強くこだわり」というのも違います。「その1」での説明の繰り返しになりますが、SCHOLAによる飛田フィールドワークは、人を見るというより、飛田新地の全体的な状況(歴史的・社会的な現状)を理解することを目的にしてきました。働いている方々を傷つけない配慮は、私たちの当初からの重要な課題でしたし、今もその努力を続けています。

2016年5月
SWASHメンバーが、じんけんスコラあてにメールで、飛田フィールドワークで被るセックスワーカーたちの精神的苦痛の説明とそれの回避を要請。

○上のメールにあたるかもしれないものは、5月でなく6月4日に受信しています。そのメールではSWASHのメンバーを名乗っておられませんが、自らを元セックスワーカーと述べ、医学について研究する際の倫理規定である1964年の「ヘルシンキ宣言」にも触れ、研究姿勢を共有することの重要性なども示唆されていました。さらに「セックスワークを不可触にしたいということではありません。触り方について熟議いただきたいと思うのです」と、ていねいに述べておられました。この立場には、私たちも賛成です。
もちろん、SCHOLAの飛田フィールドワークの「触り方」が最善のものだと言うつもりはありませんし、課題も多くあると思っています。そのメールで指摘されていたことでもありますが、何よりこのフィールドワークが、飛田新地で現に働くセックスワーカーの方々にとって意義ある還元や支援になっているかどうか、SCHOLAとして常に問われ続けている課題と、とらえています。その意味から、2017年のSCHOLAでは、「飛田学事始め」という講座を新たに設け、セックスワーカーの方々の思いをふまえ、飛田を歴史的に把握し、その課題をどう考え解決していけるか、本格的な研究を始めたいと思っています。
このときも、私たちの事務担当者は、元セックスワーカーと名乗られた方に誠実に対応するため、6月初旬のSCHOLAの会議に、そのメールを報告し、討議しています。それは適切な措置でした。事態は、そのあと始まります。別の方から以下のように届いたのです。

●2016年6月
SWASHメンバーAさんが、じんけんスコラ宛てにメールで、飛田フィールドワークでは飛田新地の敷地内に入らないように要請。
●2016年6月
じんけんスコラ事務局から以下の回答がきた。
「6月初旬に、上杉さんを含めてスタッフ会議をおこない、フィールドワークについて、以下を決めました。
・飛田では、旧遊郭の壁を見るのみとする
・性産業で働く人たちが見える通りは歩かない」

○このやりとりは、6月24日及び25日になされました。上記のように決めたとの報告を、事務担当者が独自の判断で送りました。ところが、この報告は、「その2」に記したように、「未決定の内容」であり、不正確なものでした。このため、フィールドワークの責任者である私の決めていないことが、Aさんに伝えられることになりました。
その原因は、SCHOLAの運営体制の不明確さにありました。つまり、「研究・教育」と「事務」という質の異なる職務に関して分掌を明確にできておらず、結果としてそれを超えて回答したことが関係していました。その事態を招いたのは、詰まるところSCHOLAを創設して以来、その組織的な弱点を克服する努力を怠ってきた私の至らなさの結果です。この混乱を招いた責任を、私は痛感しています。改めてここに深くお詫びするものです。
ただ、その事務担当者の報告からAさんは、以後、SCHOLAは「嘘をついた」「約束違反」と決めつけ、断罪しておられます。

●2016年7月
SWASHカフェで飛田フィールドワークの問題を議題に上げた。
●2016年11月23日
事務局が約束を履行するか確認のために、SWASHメンバーAさんが飛田フィールドワークに参加。
【フィールドワーク直前に覆された約束】
以上のような経緯を経て、安心して飛田フィールドワークに行きました。
しかし、なんと、フィールドワークがはじまろうとする、飛田新地入口の飛田大門のところで、ナビゲーターの先生が、「これから3グループに分かれて飛田を自由にみて回ります」と言い出しました。私はびっくりして、「ちょっとまってください、約束が違います!事務局は、働いている人がいる通りは歩かないと約束したんです!」と言いました。そしたら、ナビゲーターの人は、「聞いてない」と言い張るのです。そして聞く耳を持ってくれないあからさまな態度でした。私はなんとかしなきゃと思って、ほかのナビゲーターの方や、参加者らに必死で訴えました。「みなさん、どうか働いている人がいる道を歩かないでください、働いている人をじろじろ見るのはやめてください、興味本位やかわいそうにとか同情の目でみるのはやめてください、客でもないのに見学目的でじろじろみられてつらい思い嫌な思いする人もいるんです、どうかわかってください」と涙ながらに訴えました。そしたら、大半の参加者の人はまじめに聞いてくれて、うなずきながら聞いてくれる人も何人かいました。
私の必死の訴えのあと、ナビゲーターの方が、「ではみなさんそういうことで配慮して歩いてください」と言いました。「Aさんはこっちのグループに」と促されたのですが、私のことを迷惑そうな目でみている一番心配なナビゲーターのグループに入って飛田新地敷地周辺をまわりました。案の定、そのナビゲーターは、敷地内の働いている人たちの通路に入ろうとしたので注意し、阻止しました。歩きながら、ほかのグループにも目を光らせました。

○まず当日、Aさんを傷つける体験をさせてしまったことについては重ねてお詫びをします。ただ、飛田で働く当事者についてAさんが主張された気遣いについては、「その1」でも明らかにしましたように、SCHOLAの飛田フィールドワークにおいて十分に配慮してきたものです。当日のAさんの主張も、参加者は、そのように理解をしていたと思います。したがって、ナビゲーターが「飛田を自由にみて回ります」などと発言することなど、絶対にありえません。本人もそう言っていますし、そんな発言を聞いた人などいません。
ただ、「聞く耳を持ってくれないあからさまな態度」と受け取られたAさんの心情は理解しています。そのナビゲーターは、飛田に入らない「約束」をしたと考えていませんでしたので、そうした印象をAさんがもたれたと推察します。
なお、当日のフィールドワークは午前10時から始まっていました。この時点で私は、その日のフィールドワーク全体の計画を説明するとともに、現地に臨む私たちの姿勢を参加者にお示しし、地元の方々に最大限かつ細心の配慮をするよう求め、理解をしていただいたうえで飛田を含む大阪フィールドワークを実施しました。その後、私は体調不良で一時自宅に戻りましたので、Aさんが参加された午後の飛田フィールドワーク開始の時点で、責任者としての解説も、また飛田の中に入ることについてAさんへの説明もできませんでした。そのすれ違いが、批判の文言の厳しさを拡大させてしまったと思っています。
私としては、すでにAさんの主張は知っていたわけですから、仕事に追われ体調を崩すなどしていたとはいえ、もっと早い時点で、6月にお伝えした内容は「未決定であった」とお伝えすべきだったと、反省しています。

飛田をまわるのが終わってから、参加者の方々に、まばらですが、「働いている人がいる道を歩きましたか?」と聞いてまわりました。一人「ちょっと行った」という男性がいましたが、私が確認したほかのグループの方々は「働いている人がいる通りは歩かなかった」とか「配慮した」と言ってくれたので、苦痛の被害をほぼ阻止できたのではないかと思いました。

○SCHOLAの飛田フィールドワークで私たちは、働いている人方々の苦痛をできるだけ少なくする工夫をしてきたつもりです。Aさんの要求が今回あったから「苦痛の被害」が「阻止」できた、という評価とはまったく違うと思っています。

また、事務局のメール担当者に電話し、「なぜ約束が共有されてないのか?」と聞いたら、「連絡ミスでした。すみません」と言っていました。私とのやりとりは、事務局やスタッフさんたちはほとんど知らされてなかったのでした。私は、「嘘ついたこと、約束を破ったことに対してどう対応するのか話し合ってください」と言い、担当者は「わかりました」と言いました。(複数回にわたって同じようなメールをしてるのに、ミスなわけないのです。意図的としか考えられません。)

○繰り返しになりますが、「約束した」というのであれば、フィールドワークの責任者である私がそう説明し誓ったということなのですが、そんなことはしていません。ただ、私はもっと早くAさんに、飛田に入ると決めたことを直接説明すべきでした。事務担当者は、ただ6月におけるSCHOLAの会議内容を自分の判断でAさんへ回答し、報告したにすぎません。したがって上に書かれている電話のやりとりも、事実と異なったものです。
6月の会議のあと、SCHOLAとして、2016年度の飛田フィールドワークの具体的方法を改めて決定し、11月23日に実施したわけです。繰り返しになりますが、Aさんにそうした動きを事前に伝えず混乱させた責任はこちらにあります。ただ、それを「嘘をついた」「約束を破った」とまで非難されるのは、やはり事実と異なるのです。

さらに、責任者の上杉聰さんとも帰り際に話したのですが、相変わらずまったくこちらの問題意識はわかってもらえませんでした。

○私は、すでに述べましたように当初、Aさんに対し飛田フィールドワークへの協力を依頼してきました。しかし、昨年4月の時点からAさんは一転し「飛田新地に入るべきでない」との批判を始められました。その時、私はAさんの問題意識がまったく理解できていないのではなく、Aさんが追求する「セックスワーカーの人権」問題を深めていくためにも飛田新地の実態を把握する必要があること、さらに当事者の傷つくことはできるだけ少なくする工夫を最大限行いながらフィールドワークをすることが大切と考え努力してきたことをお伝えし、その点で決して対立してはいないことをお答えました。しかしご理解いただけず、今に至っているのです。

私の訴えを聞きながらもなお、働いている人のいる道を歩こうとしたナビゲーターにも話しかけましたが、上杉さんと同じく、働いている人が嫌な思いをすることがわかっていながらも、現場を見て回って学ぶことはどうしても譲れないという意見でした。そして、たびたび私との会話が嫌そうな素振りをみせたので、私は気を使って、何度も、「話を続けて大丈夫ですか?」と聞くくらいでした。そのたびに私は傷つきながら話しました。

○ここには、フィールドワークという研究方法が、当事者への支援にどの程度つながるのかという大きな課題が横たわっています。もちろん、それがSCHOLAにおいて十分といえるレベルで保障されているなどと主張するつもりはありませんが、この点について私たちのスタッフが全く無理解で、配慮がなく、横暴かつ一方的な態度で、正当な要求をしているAさんを無視し続けたというような状況描写については、事実と異なります。
また、フィールドワークのナビゲーターは、全体的な時間的配分や参加者の安全に対する細かな配慮をしつつ、歩きながら、また考えながら進めなければなりません。その場で「十分な会話」をすることは、実際のところ不可能にちかい事です。しかしだからといって、ぞんざいな態度がもしあったとすれば、改めて失礼をお詫びしたいと思います。

じんけんスコラの人らみんなが理解ないわけではなくて、中には、フィールドワークのやり方の問題を共感してくださる方もいましたが、それ以上に、今回のような結果でわかるように、当事者の声や意見への無関心、軽視がひどかったということです

○繰り返しますが、当時の心象としてこうした感想を持たれていたことについて理解しています。しかし、すでに述べたような理由で、これもまったくの曲解です。

昨年11月23日のフィールドワークも、経験ある一部のグループは、かなり深く飛田の中へ入りました。しかし、まったく何のトラブルも、当事者の方々からの抗議もなく無事終えることができました。さらに飛田で働いたある女性の方から、私たちのフィールドワークへの深い理解と励ましも寄せていただきました。
これからも、さらに当事者の方々の思いを尊重し、フィールドワークからの学びを大切にし、飛田に関する研究をよりいっそうの力を入れて進めていきたいと考えています。

ただ、今後とも私たちは、Aさんたちとの対話の扉を開けています。今回の事態についても、事実がどうであったのかを含めて、いつでも対話したいと思っています。

以 上